2010年09月30日

「えらいね〜」と言わないで

私が新規就農者であることを知ると、年配のご婦人方(農家または元農家の)は決まって
 
「えらいね〜」といいます。
 
悪気はないのですが、正直とても困ります。
 
なぜかというと、「ちっとも偉くなんかない」と自分では思っているからです。
 
自分にとってあてはまらないこと・心当たりのないことを言われると、人は困ってしまいます。
 
信州弁の「えらい」には「立派・偉い」という標準的意味の他に、「大変・難儀」などの意味もあるのですが、どちらにしても、「大変なのにがんばってて偉いねー」というニュアンスでしょう。
 
私はボランティアで農業をやっているのではなく、職業として生計を立てていくために選択しただけです。
 
そして他の職業に比べて農業が大変だとは考えていません。
 
「えらいね〜」には「きついわりに儲かりもしなくて、みんな辞めていく農業なんていう仕事を、よそから来て好きでやってるなんて・・・」
という気持ちが込められているように感じてしまうのです。
 
繰り返しますが、「えらい」のは農業だけではないのです。
 
なるほど、サラリーマンは毎月決まった給与をちゃんともらえるかもしれませんが、会社本体では、赤字をかかえて資金繰りに四苦八苦しているかもしれません。
 
「会社」を「社長」と言いかえてもいいでしょう。農家も「社長」なのだから厳しいのはあたりまえです。
 
 初対面のときだけではなく、会うたびにおっしゃる人もいます。
 
最初から嫌でしたが、最近では、とくに複数の人の前で言われると逃げ出したくなります。
 
どうか新規就農者ということだけで、特別視しないで欲しいのです。
posted by 鶴岡農園 at 19:34| お話

2010年07月27日

農産物直売所について考える その1

「その1」になってますが、いくつまで続くかはわかりません。
 
 
農産物直売所はいろいろ欠陥の多いシステムなのですが、現状、おおっぴらに批判する人はあまりいません。
 
それはこの直売所というものが農家の夢の結晶だからでしょう。
 
長い間、農家にとって「自分で作った作物に自分で値段をつけて売る」というのは悲願だったのです。
 
直売所はその夢をかなえました。
 
そして直売所が農村の活性化に一役も二役もかっているのは事実です。
 
だから私のような若僧が下手なことをいうと怒られてしまいます。
 
しかしながら、直売所の存在が農業をあらぬ方向へ導いてしまう、そんな懸念があり、自分の考えをまとめるために書いてみました。
 
 
 
今日、隣町の直売所に行きました。
 
買いたいものがあったのではなく、夏野菜・果実が最盛期を迎えるこの時期のお店の様子を見に行ったのです。
 
ここはとても繁盛している直売所で、今日も平日にもかかわらず大勢のお客さんがひしめいていました。
 
人気の秘密は「安さ」と、その日に売れなかった生鮮品は原則撤収という「鮮度保証」です。
 
商売柄、店に入るとまず桃のコーナーをチェックしたのですが、いきなり目に飛び込んできたのが
 
「4個入り袋100円」の桃。
 
4個100円です。一個25円。
 
商品価値がないような小玉の詰め合わせならまだしも、そこそこ立派な玉。
 
生協なら「大玉」で出てそうなサイズで、特に傷みも病斑もない正常品。しいて言えばやや過熟だったのでしょうか。
 
それにしても安い。
 
出ていたのは早生の品種で、たしかに長野県の早生品種は市場でも安く買い叩かれます。もともと中・晩生種に比べてやや食味等落ちるうえに、山梨などの早場産地の晩生種と競合するからだと思います。
 
しかしながら、直売所でも手数料が10〜20%取られるので、一個辺りの手取は22円くらい。
 
これならいくら中間マージンが高いとはいえ、農協を通して市場流通させた方が儲かるでしょう。
 
農協出荷ならコンテナに詰めて集荷場に持ち込めば終わり。
 
わざわざ手間をかけて直売所に出品して、より安く売る理由が理解できません。
 
まして売れ残ったら大損です。
 
おそらく出品された方は桃の生産農家ではなく、自家用に作った桃の余りを出しているのでしょう。
 
「どうせ余り物だし、はした銭でも売れたらもうけ」
 
という感覚なのでしょうか。
 
しかしこのような「採算度外視」の販売をされたのでは、「桃で食べてる農家」はたまりません。
 
同じお店に出すならもちろん、周囲のスーパーなどの売れ行きにも影響するからです。
 
ある作家が、「直売所はやる気のある農家潰し」
 
と言っていましたが、まさにその通りの構図です。
 
加えて、安すぎる桃が出回ることで、桃というくだもの自体の価値が下がることが心配です。
 
一個25円の桃を大事に食べようとするでしょうか。
 
そこそこの価格の桃なら、丁寧に皮をむき、切り分けてちゃんとしたお皿に分けて、「いただきます」となるでしょう。
 
「安いから買った」桃では食べ方もそれなりなのではないでしょうか。
 
店内で観察していても、お客さんの商品の扱いが粗雑なのは気のせいでしょうか。
 
デリケートな桃を乱暴にこねくり回して、ドスンともとの棚に戻す。
 
あんな扱いをされるくらいなら捨てた方がマシだと思います。
 
 
つい感情的になってしまいましたが、今日はこの辺で。
 
次回、「直売所で農家は得をするのか」
 
直売所について考える その2の心だ〜!!
 
(このノリを分かる人がどれくらいいるでしょうか。)
 
 
posted by 鶴岡農園 at 20:21| お話

2010年05月19日

規格外品農産物について

春先の低温が響いて野菜の生育が思わしくなく、店頭価格が高値になる状況が続いています。
 
そんな中で、小売サイドから普段は流通しない「規格外品」を集めて販売して、少しでも品薄を埋めようという動きが出ています。
 
正品より安く売られるので、消費者からは概ね好評です。
 
消費者にしてみれば、選択の幅が広がるのだから当然でしょう。
 
新聞などの投稿でも好意的な意見が目立ち、「不作の時期だけでなくいつも規格外品を流通させてはどうか」という提案もあります。
 
心ある人たちは
 
「日本は食料自給率が低いのだから、食べられる野菜を形が悪いというだけで処分してしまうのはもったいない。また農家が一生懸命作ったものなのに気の毒だ。」
 
と言ってくれます。
 
しかし、そもそも品不足で高値になっているような野菜、キャベツや小松菜、大根などはもともと自給率が高く、むしろ供給過剰で値崩れを起こすことが多いのです。
 
国産で普段対応しているからこそ価格が不作の影響を受けやすいといえます。
 
通常時、規格外品を除外し、正品のみの出荷にしているのは、運送・梱包などの都合もありますが、規格外品が安く出回ることにより全体の値段が下がることを懸念しているからです。
 
本当に正品の比率が低く、売るものがないという状況なら、規格外品の流通は喜ばしいことですが、平時に規格外品が多く出回るのは決して「農家のため」にはならないのです。
 
規格外品の出荷は、農家にとってはいつでも苦渋の選択です。
 
 
また新聞の投稿に、
 
「農薬を減らす取り組みをしていれば、どうしても形の悪い野菜ができてしまう。それを理解して、はねだしのような野菜も購入することがこうした農家を支援することにつながる」
 
というニュアンスの意見もありました。
 
たまに見かけるこの
 
「農薬を減らすと農産物の形が悪くなる。」
 
という理屈はどうもわかりません。
 
私の無知によるものかもしれませんが、農薬散布と作物の形には相関はありません。
 
虫食いや病害を防止するので、見た目は良くなりますが、殺菌剤をまいたからキュウリがシャンッとまっすぐになったりするわけではありません。
 
「形が悪い野菜は減農薬・無農薬の証拠だから安心」
 
と考えている方がまだいらっしゃるようですが、
 
栄養が作物生理に見合ったかたちで行き渡っているなら、その作物は本来の正しい形状になります。
不恰好な野菜は不健康の証明ともいえます。
 
上記の誤解があるために、ある農家が
 
「形の悪い方が売れるから」
 
と言って、せっせと変な形のキュウリを作って直売所に出していた・・・・
 
という笑えない話も出てきます。
 
たんなる「農村伝説」しれませんが。
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 鶴岡農園 at 06:01| お話

2010年05月06日

雄しべと雌しべの微妙な関係

桃の品種には、花粉を持っているものと、(ほとんど)持たないものがあります。
 
持たない品種の花は、持っている品種の花の花粉が必要です。
 
さて、下の二枚の画像を見てください。
 
blog0506-4.jpg
 
blog0506-3.jpg
 
上が花粉を持たない「川中島白桃」。
下が花粉を持つ「あかつき」。
 
真ん中にある雌しべの長さの違いに注目です。
 
他から花粉をもらいたい川中島白桃の雌しべは長く、
 
自分の雄しべの花粉を受ければいいあかつきの雌しべは、雄しべの間に埋もれるように短くなっています。
 
自然にとっては、このくらいの「知恵」は当然ですかね。
 
 
posted by 鶴岡農園 at 20:15| お話

2010年04月27日

漱石は農業無知?

農民作家の山下惣一さんの『いま、米について』という本を読みました。
 
20年以上前に書かれた本を今さら読もうと思った動機はおいておいて、
 
 
第一章のタイトルは『もうまじめにこたえる気がしないが、でもはっきり言っておきます。』
 
どうして「まじめにこたえる気がしない」ほど呆れてしまったのか、いくつか理由をあげているのですが、
 
そのうちのひとつが、取材に来たテレビ局の若い女性アナウンサーが、庭先の稲の苗を指差して言った一言。
 
「この村では、どこの家でも芝生を栽培していらっしゃいますが、ゴルフ場とでも契約されているのでしょうか?」
 
農の現場と多くの人たちの距離が離れてしまった現在(20年前ですが)、このくらいは珍しくないでしょう。
 
今は多少はマシになったとはいえ、わたしも相当な「農業無知」でしたからわかります。
 
しかし、平行して読んだ別の本で、あの明治の文豪・夏目漱石が同じレベルだったということを知って驚きました。
 
藤沢周平著『白き瓶 小説・長塚節』の中に
 
「田圃から一・二丁しかはなれていない牛込喜久井町に住みながら、稲の苗をみてもそれが米の実がなる苗だと知らず、(正岡)子規をおどろかした漱石である。」
 
とあります。
 
「同じレベル」と先に書きましたが、まだ農業が大多数の人の身近にあった時代のことですから、漱石先生の方が、件のアナウンサーよりよほど重症とも言えますね。
 
ちなみにこの小説の主人公・長塚節は、すぐれた歌人でもありましたが、農民小説の名作と言われる『土』の作者としてよく知られています。
 
訳知り顔で言う私もまだ『土』を読んだことはありませんが。
 
参考文献
『いま、米について』 山下惣一著 ダイヤモンド社
『白き瓶 小説・長塚節』 藤沢周平著 文芸春秋社
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 鶴岡農園 at 18:46| お話

2010年03月31日

新植園の草刈の失敗

失敗の話ー2

遊休農地を開墾して、新しく桃やリンゴの苗木を植えたときの話。

 
 まず、冬の間に枯れた雑草を春にキレイにかき集めて燃やします。
 
その後、土壌改良資材をまいて、耕運。そして翌春、苗木を植えつけます。
 
さて、その後生えてきた雑草はどうしましょう?
 
まだ土がやわらかいので、自走式の草刈機は入れません。
 
もちろん手で抜いていたら、それだけでシーズンが終わってしまいます。
 
「よし、トラクターで苗木の植わっているところ以外をまた耕やそう!」   と考えました。
 
桃の産地では、成木園でも、草が生えてくるたびにトラクターで土をかき回して除草している(清耕栽培)ところもあります。
 
うちでもその手でやってみようと思ったわけです。
 
ところがこれが大失敗。
 
 よく考えると、この方法は一度使ったら、それからずっと除草のたびに耕していなくてはならないのです。
 
土は放っておけば(表面が)硬くしまってきて、そのうち草刈機も走れるようになりますが、耕したらまたやわらかくなってしまう・・・いつまでたっても草刈できないのです。
 
しかもすでにかなり伸びていた雑草をすきこんだために、畑はデコボコになってしまい、またトラクターの運転が下手だったので、いたるところに段差や溝ができてしましました。
 
 時間と労力を費やして、状況を悪化させただけとなり、かなり悔やみました。
 
耕運がダメなら、と思い余って除草剤をまいたこともありますが、草を抑えられるのはせいぜい1月半ほど。
 
それに根まで枯らしてしまうと、そのぶん土壌がやわらかくなってしまうので、雨の後、トラックで畑に入ったら、タイヤが埋まってしまい、えらく難儀しました。
 
いったいどうしたらいいのか、隣のベテラン農家に訪ねたら、 「そんなの放っておけばいいやさ。苗木の周りだけビーバーで刈っておけば。冬になったら勝手に枯れるわい。」
 
農業初めて最初のうちは、草刈に追われていると、必要以上に焦ってしまうんですよね。
 
草がボーボーになってくると、
 
 「あーどうしよう・・・!」
 
 と心配になってしまうのですが、 時には悠然と構えているのも自然相手の商売では必要かも。
posted by 鶴岡農園 at 20:18| お話

2010年03月10日

葉面散布の失敗の巻

失敗のお話 −1
 
 
「葉面散布」という言葉があります。
 
読んで字のごとく、葉の面に何かをぶっかけることです。
 
農薬の場合は葉面散布とは言いません。
 
だって、葉面にかけるのが普通だから、わざわざそんな言い方しないのです。
 
葉面にかけるのが「普通でない」ものとは、
 
「肥料」であります。
 
肥料は普通、地表にまいて、それをすきこんだり、あるいはそのまま染みこむにまかせたりします。
 
肥料は根っこから吸われて、幹を登り、枝を伝って葉にも送られます。ここで光合成やらなにやらいろいろ仕事を行うわけですが、これを直接葉っぱにかけちまおうというのが「葉面散布」です。
 
当然、間をパスして直接葉っぱに養分が届くわけですから、即効。
 
土にまいた場合、土に水分がなければ、肥料は吸われず、いつになったら効くのやら・・・
 
とやきもきしますが、
 
水にといて葉っぱにかけてしまえば、確実に効くわけです。
 
これが魅力で、葉面散布はメジャーな技術になっています。
 
もっとも、これは最近のブームではなく、
 
江戸時代には、「下肥」、つまり人の糞尿を菜っ葉やらいろんなものにかけていたらしいので、
昔から使われていたのですが。
 
むしろ、肥料が貴重だった昔の方が、肥料の使い方は工夫したものと思われます。
 
今回はこの「葉面散布」にまつわる失敗の話。
 
「カルシウム剤の薬害に気をつけろ!!」
 
なのであります。
 
ともかく作物にとってカルシウムはとても重要な栄養。
 
とくに果実の熟期にカルシウムを吸わせると、とても甘くてしまったおいしいリンゴやら桃やらができる。
 
と信じていた私。
 
いえ、理屈では間違っていないのですが、これを葉面散布で打ったのが失敗のもと。
 
はじめにおことわりすると、カルシウム剤を熟期の近い果実に散布しても、薬害がでないこともあり、このやり方で成果をあげている方々もいらっしゃいます。
 
ただ、後で聞いたのですが、カルシウムの葉面散布のリスクはよく知られていたらしいのです。
 
 
さて、桃も色づき始め、収穫が近づき始めた頃、その果面に赤黒い斑点がぽつぽつと浮き出ているものがたくさんありました。
 
最初は病気かと思ったのですが、それ以上悪化するでもなし、中が傷んでいるわけでもない。
 
でも、そこは見た目も大事な農産物。
 
まともな品としては出荷できず、かなりの損失が出ました。
 
原因追究して、いろいろ相談し、さまざまな条件を考え合わせたところ
 
少し前にまいたカルシウムの液剤が、大きな水滴となって張りついていた箇所が、薬害を起こして変色したのだという結論を出しました。
 
そのカルシウム剤には葉面散布としての使用も推奨されていて、希釈倍率を間違ったわけでもないのですが、こういうこともあるんだと、悔やみました。
 
なお悔やまれるのが、原因の解明が遅れたために、その後に収穫したリンゴでも同じ過ちを犯してしまったこと。
 
まだ、駆け出し農家で、全体量が少なかったので、それほど高い授業料にはなりませんでしたが、比率的には大きな損害であることに違いありません。
 
人と違ったことを試すときは、思わぬ落とし穴が待っていることを覚悟しなければならない。
 
それを回避するためには充分な下調べが必要だと思い知らされました。
posted by 鶴岡農園 at 15:23| お話